戦場に残した大量のう●こが致命傷に!? ガダルカナル島、悲劇の舞台裏 8月、日本人はどうしても終戦や原爆のことを思ってしまう。しかし、太平洋で行われた戦争だけで1368日、つまり4年間行われていたのであるから、8月は少なくとも4回あったのだ。 その太平洋で行われ、戦いの中で最も激戦を極めたのがガダルカナル島の戦いである。 ガダルカナル島 ■そもそも、なぜガダルカナル島で戦ったのか? その頃、海軍はアメリカとの長期間の消耗戦を避けたく、陸軍は、アメリカとの戦いよりも、中国における戦線の拡大のほうが重要であり、アメリカとの戦いにあまり陸軍の兵力を出したくはなかった。ガダルカナル島 しかし、せっかく占領した南部仏印や南方資源地帯、つまり、現在のインドネシアやベトナムなど東南アジア地区の資源地帯を守るために、オーストラリアの孤立化を図ることは、1つの命題であったのだ。 ガダルカナル島 そのようなことから、昭和17年4月に企画されたのが「米豪遮断作戦」である。この作戦は、ニューギニア島東南岸のポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)と、ニューカレドニア、フィジー、サモアの攻略作戦(FS作戦)からなるものであった。 ガダルカナル島 このFS作戦の中で重要となる、前進基地飛行場を作る最適な地とされたのがガダルカナル島なのである。 その、ガダルカナル島に飛行場の建設を始めたのが4月。そして完成したのが8月5日である。そして、アメリカ軍のガダルカナル島上陸と占領は8月7日。まさに、日本軍は敵軍であるアメリカのために飛行場を建設したかのような形になってしまったのである。 この1度取られたガダルカナル島の飛行場を奪回するために日本軍は、何度もこのガダルカナル島に対して上陸を決行し、そしてその中で戦っていたのである。 何度も少数に分けて上陸したために、組織的な犯行ができなかった日本軍は、その作戦や連絡の不徹底などもあって、上陸した総兵力は31,404名。うち撤退できた者は10,652名。それ以前に負傷・後送された者も740名しかいなかったという激戦であった。 また、この輸送の中で第一次ソロモン海戦や南太平洋海戦など、多くの海戦があり、日本軍の戦艦が初めて沈没するのもこの海域でのことである。 さて、このガダルカナルの戦いではなぜこんなに日本軍は戦死者を出したのであろうか。 ■日本軍が負けた理由はまさかのアレ その秘密のカギを握るのは「排泄物」。要するに「うんこ」なのである。 アメリカ軍は、自分の軍隊の被害を最小限に抑えるため、上陸した日本軍の兵力の規模を調べてから攻撃しようと作戦していた。 しかし、市街戦ならばスパイを送り込んだり、現地人に聞き込み調査ができるものの、ガダルカナル島などのような島、特にジャングルでは、そのような偵察要員もいない。また、ゲリラ戦などの場合は、特に小さな集団がどれほどの人数で動いているのかまったくわからないのである。 そこで、アメリカ軍は、砲撃などでその拠点を叩き、相手が撤退した後に、その拠点で残されたものを調べて、そこに何人くらいの敵兵がいたかを判断しようと試みた。 しかし、いくら日本兵があわてていても、そこは軍隊である。小さな集団といえども指揮命令系統はしっかりしており、なるべくその根拠地に物を残さないですぐに移動する術を持っている。そこで、アメリカ軍は、「すべての人が使い、そして撤退の時に絶対に持って行かないもの」を調べて、そこにいた人数を把握したのである。 それが、「排泄物」だ。これは、人間である以上すべての人が食事を行い、そして排泄物して残していくものである。しかも、階級の上下も関係がない。それどころか、その排泄物によって病気であるかどうかも一部はわかる。兵数もわかればその健康状態から実質の戦力までわかるのだ。 ■米軍調べでは、排泄物の量>実際の兵隊の数だった!? さて、当時の日本人は野菜食中心であり、盲腸が欧米人よりも発達していた。そのために、排泄量も多く、欧米人に比べると特段に排泄物の量が多かったのである。その排泄物の量の多さを見たアメリカ軍は、日本軍の兵士が実際の数よりも多くいると錯覚したわけだ。そして、実際の兵力の役7.5倍の火力で日本軍を攻撃した。日本軍は、通常の戦闘以上の被害を出したのである。 逆に、考えようによっては、日本人は、当時のアメリカ人の1.5倍の排泄物をしていたことになる。日本軍もまさか排泄物で自分たちの人数を計られてているとは思っていない。そのために、自分たちの想定以上の火力を向けてきたとも思っていないのである。 このことはアメリカ軍の従軍軍医の日記に記載されている。従軍軍医は、日本軍の残した排泄物を検査し、その量から人数を割り出した。しかし、割り出した人数よりも、味方(アメリカ)の倒した敵の数が少なく、日本兵はあれだけの火力を浴びながら生き残りがいるということは、よほどすごい訓練をしているに違いない、というような記録を残している。なお、この軍医は、最後まで自分の検査のミスでいつも多くしていたことに気がつかなかったということである。 当時の日本軍にとっては何とも迷惑な話なのである。
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