プルシェンコ、ソチ五輪は最後の仕事? フィギュアスケート界の「皇帝」は個人戦を戦わずして地元の五輪から消えた。新種目の団体戦で雄姿を見せ、母国に今大会初の金メダルをもたらした4日後のことだった。エフゲニー・プルシェンコ(31、ロシア)は男子ショートプログラム(SP)の自身の順番になって棄権を表明。2006年トリノ五輪金メダリストの4度目の五輪はあっけなく終わった。 ■地元開催、個人戦戦わずして棄権 13日の男子SP。7番目の演技者として名前が呼ばれ、大歓声がわき起こった。いつものおじさんが太鼓をたたき、客席を盛り上げる。そこまでは通常の光景だった。最初の異変はミシン・コーチの動き。リンクサイドから「太鼓おじさん」に向かって両手で×印をつくった。「太鼓をたたくのはやめてくれ」という合図だった。 太鼓おじさんがしょんぼりして座り込む。すると、リンクの中央に進むはずのプルシェンコが審判員席へ向かって滑る。何やら会話を交わした後、客席に手を振ってリンクを出た。棄権だった。 報道陣の取材エリアにまずミシン・コーチが現れた。「前日の練習で4回転ジャンプに失敗し(古傷の)腰を痛めた。彼のいままでの功績は素晴らしいものだった。どうか彼を責めないでくれ」 まもなくしてプルシェンコも淡々と話し始めた。「演技直前の6分間練習で腰と右脚を痛めた。ナイフが刺さったような痛みだった。神様に『エフゲニー、もう十分だ、もうスケートは十分だ』と言われた気がしたよ」 「これで引退か?」と問われ、「そう思う。(競技より)健康の方が大事だろう」と答えた。 ■手にしたメダル、金・銀ともに2個 演技直前の6分間練習でトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を試みて失敗、着氷した後、つらそうに両手を膝に置く場面があった。昨年1月に手術した腰の痛みがひどくなり、当日まで出場への道を探ったが、痛みは治まらずあきらめた、ということなのだろう。 プルシェンコ 手にした五輪のメダルは02年ソルトレークシティーの銀、06年トリノの金、10年バンクーバーの銀を合わせ金2、銀2の計4。栄光に包まれたスケーターが不本意な演技はしたくない。そういう思いが働いたことも想像できる。プルシェンコ 9日の団体戦の男子フリーを終えた後もプルシェンコは「途中から腰が痛くなった」と話している。ずっと痛みはあったようだ。それでもソチ五輪に出たかったということか。昨年12月のロシア選手権に敗れたものの、優勝した18歳、コフトゥンが欧州選手権でさえず、プルシェンコ待望論がわき起こった。特別テストまでこなし、五輪切符を得た。 ■ロシア国内で計画的な行為の声もプルシェンコ そんな経緯があったから、ロシア国内では計画的な行為とみて「団体戦だけに出ることでロシア連盟とプルシェンコ側が合意していた」などとという声もある。 腰の痛みのことは本人にしかわからない。ただ、確かなことは、ソチ五輪のロシア初の金メダルをプルシェンコが団体戦でもたらした、という事実だ。プルシェンコの長期離脱もあって、ソチ五輪のロシア男子の枠は1つだけ。1人が団体戦でフル稼働する必要があり、その役割を皇帝は全うした。 プルシェンコ 団体戦でSP2位、フリー1位となった演技は見事だった。フリーの演目は「ベスト・オブ・プルシェンコ」。過去の自身のプログラムに使った曲をつなぎ合わせたもので、スターの自負がなければできない代物だろう。力強さと気品あふれる演技、迫力あるジャンプ。 ■去るも戻るも皇帝の胸の内次第 別格の雰囲気を漂わせたカリスマは常に話題の中心にいないと気が済まないらしい。ロシアの国営テレビのインタビューにはさっそく、「5回目の五輪を排除しない」と語っている。「スポーツから去りたくないし、たぶん、まだスケートをする。もし必要ならばさらに10回の手術をする」とも。2018年平昌五輪に姿を見せることになるのか。去るも戻るも皇帝の胸の内次第。だからこその皇帝なのである。プルシェンコ
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