横田めぐみさん 「見てはならないもの見た」 中学校の部活動を終え、帰宅途中の昭和52年11月15日、わずか13歳で新潟市から北朝鮮に連れ去られた横田めぐみさん。その状況を、韓国に亡命した元北朝鮮工作員はこう証言した。 《(めぐみさんを)北朝鮮につくまで船倉に40時間以上監禁した。「お母さん、お母さん」と叫び、壁などをひっかいたようで指は血だらけでつめがはがれそうになっていたという》 北朝鮮に到着しためぐみさんは泣き続けた。そんな姿に、北朝鮮当局者は「朝鮮語を勉強するなら日本に帰してやる」と伝えた。だが、その約束は、当たり前のようにほごにされる。 53年8月、暮らしていた招待所に、一人の日本人女性が現れた。めぐみさんと同じく北朝鮮工作員に拉致され、平成14年10月に帰国する曽我ひとみさん(55)だった。 横田めぐみ 新しい2人の生活には、厳しい監視の目がまとわりついた。地村保志さん(59)、富貴恵さん(59)夫妻らを拉致した北朝鮮工作員、辛(シン)光洙(グァンス)容疑者(85)=国外移送目的略取容疑で国際手配=が2人の教育を担当したこともあった。 横田めぐみ 日本語は許されず、夜になって2人きりになると、日本語で会話したことを曽我さんは帰国後に証言している。 横田めぐみ めぐみさんと曽我さんは何度か離れながら、昭和55年までともに生活。その後、めぐみさんは金淑姫工作員と同居しながら、日本語などの教育を担当。金淑姫工作員と離れた後には、田口八重子さんと生活をともにした。同じ集落には、曽我さんと同じく平成14年10月に帰国した地村さん夫妻と蓮池薫さん(56)、祐木子さん(58)夫妻もいた。 田口さんとは昭和61年まで生活。めぐみさんはその後、韓国人拉致被害者、金英男(ヨンナム)氏と結婚し、娘のキム・ウンギョンさん(26)が生まれた。帰国した被害者の証言で、めぐみさんはこの集落に平成6年までいたことが確認されている。 めぐみさんについて、北朝鮮は「1994(平成6)年4月に死亡」と説明したが、その後もめぐみさんが生存していたとの情報は後を絶たない。 いくつかの情報は、「知りすぎた被害者」の面をくっきりと映し出している。「1995年前後の1~2年、金正日(ジョンイル)総書記の子供の一人の家庭教師をしていた」という情報は、金総書記の元側近幹部によってもたらされた。 新しい別の証言もある。脱北を決意したある男性は2007年1月、朝鮮労働党の工作機関「作戦部」幹部の息子に日本人拉致被害者の情報を求めた際、こういわれたという。「めぐみは特別管理しているので、おれも接近できない」。この言葉を読み解けば、めぐみさんは07年前後に生存していたことになる。 別のとき、友人は男性に対し、こうも説明したという。「めぐみは見てはならないものを見ている」。うかがい知れない秘密が帰国をはばむ“壁”になっているのかもしれない。横田めぐみ
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