難局越え都市対抗を連覇 JX監督・大久保秀昭(上) JX―ENEOS野球部の監督に就いて8年目。大久保秀昭(44)は景気に左右されやすい企業スポーツの現実を思い知らされ、社会人野球を舞台に戦う難しさを味わってきた。7月の都市対抗はそれを乗り越えての連覇。「ようやく好循環に入った」。51年ぶりの快挙を成し遂げ、王者が毎年入れ替わる「戦国時代」に終止符を打った。 ■名門復活へ選手入れ替え 前回覇者として予選を免除されて迎えた今回の都市対抗。「春先は負けるのが怖かったが、5月の東北大会で優勝して開き直れた」 日本石油時代から数えて通算11度目の頂点は「託せる選手を多く育てる」と強化を進めてきた成果。右肩痛の不安を抱えていた正捕手の山岡剛の穴を埋め、連覇の原動力となった5年目の日高一晃は今季の戦いを象徴する選手だった。 監督に就任した2006年は2年連続で都市対抗出場を逃し、優勝からも10年遠ざかっていた低迷期。会社にとって、プロの横浜(現DeNA)で2軍コーチだった大久保への打診は最後の望みだった。 「おまえで結果が出なかったら休部にすると言われた。OBとして見過ごせなかった」。歴代最多優勝を誇る名門復活を託されての“登板”は不退転の覚悟だった。 大久保秀昭 再建へまず血の入れ替えに取り組んだ。就任後の都市対抗予選で敗退した直後、それまでのレギュラーを外して新人を起用する。 ■強化策が結実、3年目で制覇 大久保秀昭 「02年に金属から木製バットに変わったのに、日本代表が多く在籍していた日本石油時代の成功体験から抜け出せずに、時代の変化に対応できていなかった」 特に同じ捕手出身ということで厳しい指導を受けた山岡は「監督に褒められたことはないけど、おまえらがチームを変えろとよく言われていた」と話す。素振りは1日1000本以上。年間70~80試合だった試合数も100試合に増やし、実戦の中で鍛え込んだ。 その強化策が結実したのは就任から3年目の08年。エースの田沢純一(レッドソックス)を擁して13年ぶりに都市対抗を制し、一連の改革が正しかったことを証明した。同時に、大久保の胸に去来したのは「休部の危機から野球部を救った」という自負だった。 ■気苦労おくびにも出さず大久保秀昭 ただその直後、リーマン・ショックを発端とした景気低迷で雲行きが再び怪しくなる。予算が20%カットされ、休部の噂が降って湧く。 一度はチームを再起させた大久保もさすがに重圧に押しつぶされそうになっていたが「とにかく結果を出すことが全て。都市対抗でいい成績を残して認めてもらうことが存続への道だと思った」。 選手には気苦労しているそぶりはおくびにも出さず、難局を乗り切った。都市対抗連覇と昨秋の日本選手権を合わせた3季連続優勝で黄金時代の到来を知らしめた。 いまだに社会人野球を取り巻く環境は厳しいが、専用球場を持ち、毎年有望新人が入部するチームは恵まれている。 「今、会社は全面的に協力してくれているのでありがたい」。数々の試練を乗り越えてきたからこそ、少しの逆風では倒れない強さが今のチームには備わっている。大久保秀昭
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