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小林武史が語る 「ap bank」9年目の決意

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小林武史が語る 「ap bank」9年目の決意

小林武史が語る 「ap bank」9年目の決意 音楽プロデューサーとして活躍する一方、非営利団体のap bank代表でもある小林武史さん(53)。東日本大震災から2年、被災地の復興を支援する活動について聞いた。 ――3・11の震災が起きたとき、何をしていたのですか?  音楽をプロデュースするだけでなく、キーボード奏者としても出演するMr.Childrenのコンサート前日でした。地震が起きた瞬間は大阪のラジオ局にいて、「生放送10分前」というとき、横にゆったりと不思議な揺れ方をしたのです。テレビを見たら、震源地が宮城県沖と出ていて。この瞬間から、ap bankの代表としても、プロデューサーとしても決断を迫られる怒濤(どとう)の日々が始まりました。 ――それから、どう動いたのですか?  次の日から2日間の予定だったコンサートを延期し、夜には、ツアーを一旦休止することを決め、支援に向けて動き出しました。  4、5日後には、緊急車両で宮城県の南三陸町、気仙沼市、石巻市の3カ所で、炊き出しをしました。はじめに南三陸町に入ったときには、車から降りて、ぼうぜんと立ち尽くした記憶があります。あらゆる物が放り出されていて、何の秩序もない。木の上に軽自動車が引っかかっていて、その隣には着物の帯が垂れ下がっていたり。まるで、ミキサーにかけられた人工物が空からばらまかれたような、見たことのない光景でした。人間が作ってきたものが完全に分断されてしまった世界。そんなふうに感じました。 ――数日後には現地入りし、ボランティアの派遣をするなど、反応は早かったですね  ap bankとして活動してきたノウハウが生きました。ap bankは2003年に、Mr.Childrenの桜井和寿くんや、坂本龍一さんと立ち上げた団体です。「市民のためのバンク」としてお金を集めて、自然エネルギーへの取り組みや環境保全などの活動に「融資」する、という形で支援してきました。  復興支援では、まず僕たちにできることをやろうと考えました。ap bankとしては、「Fund for Japan」を立ち上げて義援金を募り、スタッフが週に1、2回は現地に入って炊き出しを行いました。音楽では、一青窈さん、Salyu、レミオロメンらと被災地で歌う「歌の炊き出し」をしたり、Mr.Childrenの宮城公演やap bank fesの収益を全額寄付しました。 ――最近は、復興事業・プロジェクトリーダーのもとに、その「右腕」となる人材を送る「右腕派遣プログラム」の支援や、三陸の漁師や水産業者を応援する「三陸フィッシャーマンズプロジェクト」などに関わっていますね。  とにかく、がんばって立ち上がろうとしている人たちを応援したいと思うのです。何とかしたいと考えている人は手助けやアイデアを求めている。そんな志を持つ人たちを草の根的につないでいきたい、と。  自分の足で立ち上がろうとしている人たちは自分で看板を立てているわけではありません。それは現場に入らなければ見つかりません。だから、そういうところに「人」を送ろうと。お金を渡すことも必要ですが、「人」の支えはもっと重要だと考えたからです。そうやって悲しみや苦しみながらでも立ち上がろうとしている人たちと復興に向けての土台を作り、そこから少しずつまわりを巻き込んでいくことができればと考えています。  それはap bankでやってきた活動から学んだことでもありました。融資先の選考では書類を送ってもらうところから始めるのですが、書類でわかることにはやっぱり限りがあります。だからこそ、「人」を送ってつながりを持ち、刻々と変化していく状況や問題点に対応しながら動いていくことが必要だと感じていたのです。 ――そうした活動を通じてどんなことを感じましたか?  やはり、被災した子どものことは気になっています。どういうふうに成長して、どんな人生を送っていくのか。僕は音楽の世界で生きているので、例えば東北が世界中と「アート」でつながっていけたらと思うのです。  いまはインターネットやSNSで瞬時に世界中とつながることができます。「アート」も世界との間に壁がありません。音楽や芸術にまつわる発想や表現が生まれて、歌手やダンサー、映画監督になる子がいるかもしれない。未曽有の、世界のどこでも起きたことのない悲劇に直面し、誰もしたことのないような経験をした子どもたち。心をえぐられるような傷も含めて、これからの人生に影響することでしょう。小林武史  ただ、残酷なことに、そうしたマイナスの体験がアートという表現に昇華されることがよくあるのも事実です。その意味でも、芸術や音楽など若い人たちの「表現の場」づくりに関わっていきたいと考えているところです。小林武史 ――2005年から毎年夏に続けてきたap bank fesを今年は開催しないのですね。 小林武史 「初心に帰ろう」と思ったのです。  いま、ap bankには億単位の「原資」があります。金が残っているのに、それを使わないままフェスを開いて、さらに金を集める。そのことに矛盾があると感じるようになりました。  フェスをやることで、そこに来た人たちに何かを感じ取ってもらうことも大切ですし、大勢の方々に期待していただいていることもよくわかっています。でも、スタッフの熱意と労力をフェスを成功させることではなく、人々の「幸せづくり」のために注ぎたい。もう一度原点に返って、きちんとap bankの活動をやり遂げたい。そう考えるようになったのです。  フェスは支援金が底をつきそうになったときに、また開催できればと思っています。また、その方が「もう一度、あのステージで音楽ができる」という喜びをあらためてかみしめることもできるかもしれません。いずれにせよ、これからも何かしらの形でみなさんに音楽を届けていきたいと思っています。   ◇ こばやし・たけし 1959年、山形県新庄市生まれ。音楽プロデューサー、キーボーディスト。ap bank代表理事。Mr.Childrenのほか、数多くのアーティストのプロデュースなどを手がける。2003年、桜井和寿、坂本龍一らとともに非営利団体「ap bank」を設立。05年から毎年夏に「ap bank fes」を開催してきた。小林武史 swarovski カルティエ カルティエ 財布 ポールスミス バレンシアガ バッグ ホワイトハウスコックス スニーカー 人気 diesel 財布 ディーゼル腕時計 ボッテガヴェネタ 財布 クロエ 腕時計 人気
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